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2007年02月17日

伊丹谷良介 『満文軍 北京人民大会堂ライブ』に出演! 2007-1-20

2007年1月20日、北京の人民大会堂にて奇跡の瞬間があった。

中国の歌手、満文軍(マンウェンジュン)のコンサートが開かれた。

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このコンサートは単なる北京のスターのコンサートではなく、様々な特別な意味があった。
ゲストに現在、中国大陸で群を抜いて爆発的な人気のある歌手、孫楠(スンナン)が出演し、なんとバンドは全て日本人。伊丹谷バンドのメンバーでもある、西山毅、橋本章司、満園庄太郎、伊丹谷良介が参加。そしてコーラス3人、30人ちかくのフルオーケストラが参加。コンサートの音楽プロデューサーは菊地圭介。その他、数十人の日本人と中国人スタッフ。まさに日中合作で、このコンサートが行われたのだ。

これだけでも今までの中国では珍しい事なのだが、今回の場所はなんと人民大会堂!
中国の国会が行われるいわば日本の国会議事堂のような場所。人民大会堂のステージに日本人が立つこと自体、ありえないことである。そのステージにで5人の日本人ロックンローラーが立ち、爆音を奏でた。まさに、自分のアーティスト人生にはもちろん、そして日中文化の歴史にもまた新たな1ページが刻まれた日なのであった。

ちょうど1999年の同じ1月。伊丹谷は中国に初めて上陸し、北京の天安門を目の当たりにする。
『なんじゃこら??でかっ!!』

とにかくその大きさに圧倒されたのは、それは伊丹谷が十代の頃、今は亡き、ニューヨークのWTCの高さを目の当たりにして衝撃的に感じた気持ちを遥かに越えていた。その時、『もう日本人ロックがアメリカを目指す時代は終わった。私たち日本人が欧米から得たものを日本人のフィルターでアジア人としてのロックを作り上げるのだ。僕らのアジア大陸のほとんどの面積を占めるこの中国には必ず今後のロックンローラー伊丹谷にとって、ロックの大きなヒントが必ず隠されている。』と確信した。しかし、その時には想像以上に信じられない奇跡と幸運が伊丹谷を救い、想像以上に命がけの過酷な活動となることとは、何もわからなかった。

そしてその後、中国大陸津々浦々、大規模なワンマンツアーを行いそれから日本、中国を往復すること50回近く。いつの間にか日本から北京、香港に居を移し、中国人ロッカー達とライブの毎日。彼らと人生を友にしながら気がつけば500回近く中国でライブをこなし、トップスターと肩を並べ人気番組に出演、チャートにランクイン、歴史に残る中国の大ヒット曲も産むことができた。
その8年の中国での活動の間、SARS禍、反日デモ等、中国の活動に終止符を打たざるをえないような事件も起き、 なんとかそれを奇跡的に乗り越え、意地になって音楽だけの生活を続け、実現することが出来た。その上で、中国で日本人であり、ロックをやり続ける二つの大きなリスクを背負った。当然、日本人がこの人民大会堂でワンマンロックコンサートをすることはあり得ない。伊丹谷としては、せめてそのステージに立つことに意味がある、と思い続けてきた。これはお金や名誉等では絶対に解決はできない。
中国での活動を行えば行うほど、自分の努力では何とも出来ない文化の壁の高さを感じた。それは今後もしばらくの間、中国では越えきれない壁となるはずである。せめて今の自分の役割としてはその壁を越えるきっかけとなる小さな扉を開くことが重要である、と強く感じていた。

大きい事を成し遂げる為には計画的な順番がある。土台となる下地や準備無しではピラミッドは建たない。夢に対して比例した地道な努力、忍耐、精神力。それさえあれば何でも夢は叶い、どんな大きな壁でも越えれる。それを中国での音楽活動を経て自然と学ぶことができ、実現できた。結局、伊丹谷が音楽をやる上では、どこの国でも同じことだったのかもしれない。何かに挑戦する上で大切な事はその夢を守り続け、信じ続けることなのかもしれない。その気持ちを大切にしてきたここまで来たつもりだ。もしかしたら、その気持ちがあったから伊丹谷良介にしかできない活動を追求することができ、それを支えてくれた中国人、日本人と出会うことができ、エゴイストなまでの様々な夢をつき通し、実現する事が出来たのかもしれない。もしかしたら、この道のり自体が自分にとってロックの魂を築きあげる答えそのものだったのかも知れない。もしそうなら人生捨てた物じゃない。

ロックの神様。これが『ロック』ということなのか?
2007年1月20日。 
人民大会堂のステージに立つという、大きな夢が遂に叶う日が来た・・・。

まずリハーサルから本番までのレポート。
1月1日の 元旦の夜、雪の積もる北京空港に到着。東京からのメンバーより約2週間早く北京に入り、菊地氏とライブの準備進行など、あれこれしてるとあっという間に東京からのバンドメンバー北京入り。彼らは北京に到着するなり空港からスタジオに直行。その日から猛烈なリハーサルが始まった。彼らと数ヶ月ぶりの再会で、まるで仲のいい親戚のお兄ちゃん達に久々に再会するような嬉しさと戦友との再会のような何とも言えない懐かしさがこみ上げる。会う回数が増える度に無言の結束力が増しているようにも思える。まさにこれこそ が良いバンドの醍醐味であり、良きバンドの関係といえるであろう。
2時間近いコンサートの22曲を、各自それぞれがデモ音源を聴きまくって初めてバンドで音を合わせる。細かなコード、構成の確認が永遠に続く。今回はバラードが多く、コード進行の似た曲が多いので、リハーサルをやればやるほど全員頭の中が混乱を起こす。とにかく朝から夜までびっちりリハーサル。ホテルに戻ってまた個人復習。全員の睡眠不足と疲労がたまりだす。いつの間にか定番になったリハーサル中の気分転換に王道ロックのセッション大会も始まる。その時ばかりは疲れも吹っ飛んで全員無邪気にロックを楽しむ。そうしてテンションを上げたり下げたりして、長時間のリハーサルは進む。

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今回の伊丹谷はボーカル以外に楽器も奏でる。アコースティックギター、エレキギター、コンガ、ボンゴ、のパーカッション、ブルースハープ、アルトサックス等もろもろ。いつもレコーディングでは全部の楽器を奏でるが、今回ほどライブで楽器を奏でるのは初めて。ギターで指先はボロボロ。シンバルを手を叩くときもあるので手は血だらけ、コンガで手はパンパンに腫れ、ブルースハープで舌は完全に麻痺。しかし、いつもとちょっと違ってかなり楽しい。ちょっと癖になりそうである。バンドの音が形になりだしたリハーサル3日目あたりから、満文軍がリハーサルに参加した。まずはスタジオでメンバーとのワインの乾杯。最初は固い空気もあったが、音を出せばどんどんバンドの空気は良くなる。今回のバンドメンバーで中国語と日本語をしゃべれるのは伊丹谷と菊地氏だけであるが、ほとんど通訳なしでもリハーサルはスムーズに進行して行った。音と音の会話がグルーブとなり、まさに『音楽には国境はない』という言葉がぴったりである。そして、リハーサル現場に孫楠(中国大陸で信じられないくらいの 超人気スター)などが顔を出し始める。それと同時にスタジオでの記者会見やらビデオの撮影も行われスタジオには何十人という関係者がいた。

ちょうど隣のスタジオで羽泉(彼らも中国を代表するスター)というグループが違うコンサートのリハーサルを行っており、中国を代表するロックギターリストのリーイェンリャンなどにもスタジオで久々の再会。彼とは6年前、河北省のテレビに一緒に出演し、ライブセッションの競演もよくした長い付き合いの北京ミュージシャン仲間である。そのリーエンリャンを日本を代表するギターリストの西山さんに紹介。なんとも面白い関係がまたどんどん広がって行く。また、スタジオに紀敏佳(日本名ジャジャ)も遊びに来た。そういえば半年前、このバンドメンバーは彼女のデビューライブで初めて顔を合わせた。あれから彼女は次々とヒット曲を連発し、伊丹谷が作詞作曲した『ウォーアイニー』を中国大陸でカバーし、長期間連続チャート一位を記録し、中国の歴代ヒット曲になった。あの半年前のライブが昨日のようにも感じる。

リハーサルは途中の機材のトラブルや曲の変更のトラブルを乗り越え、気がつけば1日10時間、約1週間のべ70時間ほどのリハーサルが終了した。

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本番前日。
天安門の前の北京の大動脈といわれる大通りを人民大会堂までバスに揺られて移動。だんだん天安門に近づき、『いよいよやってきたぜ。』と心でつぶやく。この8年間、なんどこの通りを通った事か? 何十回?何百回?あの天安門を見るたび、『いつかここのステージに立ってロックしてやるから待ってろよ!』と心で語り続けて来た。そして、その夢が夢でなく実行される日が来た。

人民大会堂はさすがにセキュリティーの厳しさったるやハンパじゃない。裏門からの会場に入る時、パスポートチェック、ボディーチェック、金属探知機、荷物検査。テロ防止対策のアメリカの飛行機に乗るときよりも厳しい。会場を出入りする度にこの検査が必要となる。人民大会堂でロックすることのハードルの高さも感じた。楽屋に行くと『日本のスターの化粧室』と日本語で書いてあった。(笑)中国人スタッフの細やかな気配りを感じた。

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会場のサウンドチェックはゆっくり進んだ。日本人中国人スタッフはステージ裏でドタバタしていた。何かのトラブルを本能的に察知した。ちょっと嫌な予感もした。
1999年の中国政府主催の伊丹谷良介黒龍楽団大陸ツアーのイベントで、私が日本から連れてきたスタッフがライブ当日の会場で口論となり、かなり揉めた。その日のライブはキャンセルになりかけ、大問題を起こしかけた。その経験があるので、妙に神経質になってしまう。

日本と中国のコンサートの現場習慣は全く違う。中国人は中国のやり方だし、日本人は日本のやり方を尽き通そうとする。当然、単純に考えてもうまく行く訳がない。その上、ステージを作り上げる舞台裏は全員がテンパリながらドタバタし、寝ないで作業の日が続く。感情的になったりするのも無理がない。中国人と日本人の間に入る人間が両者をいかにスムーズにことを運ぶか?が重要なポイントとなる。今回、伊丹谷、菊地氏の立場としては日本から来たバンドメンバーと中国人ミュージシャンの間に入る責任もあった。菊地氏は中国メンバーサイド、伊丹谷は日本メンバーサイドに。菊地氏と伊丹谷は暗黙の了解でお互いが随時行動に出て、バランスをうまくとることが出来た。本番が終わるまでミュージシャンサイドには何の問題もなく雰囲気よく事が進んだ。

サウンドチェック時に何度も待ち時間があった。その間、人民大会堂のステージでギターの西山さんと軽くいつものセッションが始まる。西山さんのブルージーな即興演奏に合わせて伊丹谷のブルースハープとスキャット。人民大会堂の天井のどでかい星をぼーっと眺めながら、『スィートホームシカゴ』を『スイートホーム北京(ベイジン)』に変えて歌った。星を眺めながら『いよいよ明日だな』とその時しみじみ感じた。

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なんだかんだしている間に当日、本番前の最終リハーサルの時間が来た。
結局、開場の時間までに全体を通すリハーサルは出来ず、不安だらけのぶっつけ本番のステージに全員が挑むことになる。会場にお客さんがどんどん入ってくる。6000人近く動員する会場は満員御礼。

バックステージで出演するメンバーと手を差し出し合って円陣を組む。
菊地氏『いくぞーーーっ!』
全員 『おーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!! !!!』

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ステージ上からスモークがモクモクと吹き出し、会場には日本語と中国語のアナウンスが流れた。『間もなく開演です。お席におつき下さい。』

そして、オープニングの映像が流れ、いよいよ5人の日本人ロックンローラーは定位置へ。一曲目のSEがなり始め、遂に開演!一曲目が終わった瞬間、お客さんの大歓声が

どっーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと!

『よし!いけるぞっ!』

この感覚は8年前に天津で伊丹谷が初めて中国のコンサートを行った時の感覚と同じ感覚。どういう反応か?が全く想像できない時にステージ上で感じるなんともいえない達成感である。この時、今日のステージが成功することを確信した。


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演奏はスムーズにどんどん進み、ゲストの譚晶や孫楠などが出演、お客さんは大喜び。後半、途中フルオーケストラやどでかいミラーボールがステージに現れ、お客さんは感動の渦。気がつけば約2時間の22曲は終了し、あっという間にアンコール。そしてフィナーレ。ステージのメンバーは全員ステージ最前列に並び、カーテンコール。この時、数千人の大歓声を浴びながらこの8年の活動で出会った人達や出来事が頭に走馬灯に流れる。
その時、

『この歓声は彼らへの拍手。みんなほんとありがとう!』

という気持ちで非常に歓喜した。

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そして何よりもすごいのは満文軍、そして今回のイベントを支えた中国人スタッフである。彼らはこのコンサートを成功させるまでの過程で、日本人と手を組んでやることに変な風当たりの厳しさもあったと思う。これは中国に数年住んでみてやっとわかることなんだが一言では言えない何ともいえない敬意を彼らに感じた。心から彼らに感謝の気持ちを伝えたい。非常感謝、本当にありがとう。

ライブ終了後は飲めや歌えやの大騒ぎ!日本から来たバンドメンバーも1週間近く疲労が溜まりまくりだった為、ちょっと疲れた感はあったが、スタッフ総勢100人近い大打ち上げとなった。こうして人民大会堂のライブは無事終了した。

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次の日、東京からのバンドメンバーは疲れを癒しに初の北京オフということで動物園に。(なんでやねん?笑)スタッフがバンドメンバーにオフの日にどこに行きたい?と聞いたら『動物園に行ってパンダが見たい!』と。。。伊丹谷も昔から新しい街に行くと動物園に行きたがるが、まさか彼らも同じとは???そりゃ気が合うはずである。そして、動物園で『虎』を発見。メンバーみるなり声を合わせて『ひ~!かっこい~!!』ちょうど伊丹谷は次の西山さんのソロアルバムのジャケットの油絵の依頼を受けていて、絵のモチーフを何にしようか考えていた。虎を見た瞬間、直感で

『これやっ!!!』と感じる。

しかも西山さんの干支は『虎年』。今回のソロアルバムは『また新たな人生のスタート』という意味もあるので
油絵のモチーフは『虎』に決定!

それから伊丹谷は次の夢のスタートに向け、北京から香港に戻り、油絵をモリモリ描く事に・・・

皆様そちらもお楽しみに!

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