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『お久しぶりね~深土川(シンセン)ちゃん 後半』 2002-10-25

思いもよらぬ展開でまた開始した広東省でのライブ活動。
2000年のコンサートツアーで感動的な千秋楽を締めくくったここシンセンから再スタートである。
この街とは何かと御縁がある。今後思いで深い街になるだろう。

シンセンに着いた2日目の朝、一日目のコンサートの余韻を味わう間も無くHさんは僕の部屋にやってきた。

Hさん 『おはよう伊丹谷くん、いや~昨日のライブは好評だったね~。で、昨日はなした今日からのライブスケジュールの件なんだけどね。。。』

伊丹谷『ぐぁん!!????? もうさっそくでっか?』

Hさん 『ん~もちろんだよ!はいこれ。。。』

ピラリとスケジュールの書いたA4の紙を渡された。
そのスケジュール表にはとにかく莫大な数の会場でのコンサート予定が書かれてあった。
数えきれないくらいのクラブイベント、大形イベント、ディスコ、野外大形ステージと様々な場所でのコンサートがブッキングされていた。もちろん休み無しの超ハードスケジュール!
多い日には一日4回のライブが組まれてあった。

伊丹谷 『ななななぬ?!!こ、こ、これ全部でッか?』

Hさん 『少ないかね?』伊丹谷 『いやいや、、、こ、こ、こんなにたくちゃん!!?』

Hさん 『そうだよ。じゃ、今晩からよろしく!』

伊丹谷 『あ、は、はぁ、、、(このおっさんワシを殺す気か?新人アイドルでもこんなライブせんぞ。。。。)』

以前の中国コンサートスケジュールもたいがいハードスケジュールであったが今回はよりハードスケジュールである。
紙に書かれたコンサート内容を読むと今までの中国でのコンサートに比べて色んな面で条件が悪い事が予想された。
今回は酔っぱらいがステージに乱入してくるような危険な状況が予想される会場もブッキングされていた。
おまけに今回は日本から一緒に同行しているバンドメンバーもいないし一人でステージをこなさなければいけない。

『で、で、出来るかなぁ?』さすがに少しためらった部分はあったが今までの中国でのコンサートと全く違うステージ環境にも早く慣れなければいけない。
改めて振り返って考えて見ると今までの中国で経験したコンサートは現地の方々にお膳立てして頂いたドでかい何千人何万人規模の大きな会場でのコンサートがほとんどである。

その他全国ネットの人気テレビ音楽番組の出演など、わりと活動環境に恵まれた活動が多かった。
一般的にはどんな有名な中国人歌手でも必ず沢山の悪条件のコンサートを経験している。

10億人の人口を持つ中国の歌手は日本の何十倍もの倍率で生き残り、やっと手にする優遇されたコンサート環境と経験を僕は先に手にしてしまった。
この国では誰もが通る悪条件なコンサートを経験せず、今後いきなり日本人歌手がこの中国の音楽業界に横入りして来てもうまく行く訳がない。
これでは中国人に失礼でもあるし、しばらく中国に在住して今後より本格的に中国で活動しようとしている僕にとってはこの経験せずして今後の中国での活動の発展はありえない。
うまく行っても必ずどこかで失敗する。
この国では外国人としてチャンスが多い分、外国人だからこそ必ず落とし穴も多いハズである。
この国を知れば知る程そんなに中国の音楽業界で生きて行くのは甘いもんじゃ無いと言う事はわかるし、
この国での日本人の発展はハッキリ言って僕が日本で発展するよりも難しい。

今回の活動には必ず今後の身になるヒントが隠されているハズである。
だからこそ今回のこの予定された過酷なコンサートはどんなに辛くともこなさなければならない。
何よりロック畑で育った伊丹谷としては今回の会場はある意味中国で必ず体験したかった環境の一つでもある。

『表面的で無い本質の中国のライブを体験したい!よし。やらいでかっ!!』
こうしてその予定して頂いたコンサートを全部受け入れる事にした。

今回のコンサートツアーは毎日びっしりと一日3、4回のライブをこなさないといけない。
当然その日のリハーサルなど無い。
朝、電話がかかってきたらシンセンのあらゆるライブハウスやBar、大形のイベント会場へお迎えの車に乗せられて連れられていく。

会場に着くなり休む間も無くライブをこなし、そして終わったらそのまま次の会場へ向かう。
現地のバックバンドをつけてライブする事もありその時は会場に着くなり初対面のバンドとそのままステージに上がる事も少なく無かった。
寸前に曲名だけを打ち合わせし、よもや何度かのリハーサルを済ませたかのように完璧なステージをを見せなければならなかった。
実はお客さんに解らないように本番中目で合図しながらお互い探り探り曲を合わせ、
出たとこ勝負のライブをこなさなければならなかった。

ジャズやブルース、ファンク、ならなんとか即興でこなせるが構成がややこしいオリジナル曲や流行曲はさすがにリハーサル無しではちょとキツイ。
しかも2ケ月しか中国に滞在していない日本人の僕は中国語の流行曲はほとんど知らん。
しかしお金を払って来て頂いているお客さんには間違っても『スンマヘン。ワシら今日、会ったばかりでリハーサルやってまへんねん!』なんてドン臭い言い訳はプロとして出来ない。
もうこんな時はステージ上は神経ビンビンに立った頭フル回転の戦場となる。
まぁそれが面白いところでもあった。
とにかくライブ中にお客から何か要求されたらそれにも答えなくてはいけない。

案の定、酔っ払いのお客さんが演奏中にステージにあがって来て中国語で僕に話し掛くるのはザラである。
ただでさえ中国語わからないのに何のためらいも無く笑顔で彼等は話し掛けてくる。
必死で聞き取るが爆音の中なのでなに言うとるかサッパリわからん。
毎回『うァ~来よった来よった。。。どないしょ~』って感じである。

ライブ前に自分の名前が紹介されてステージに向かうと僕のマイクスタンドの前に酔っ払いのお客さんがスポットを浴びて立っている事もあった(笑)。
もう腰が抜けそうになる。

それでもでもこれにうまく対応しないと中国のお客さんは満足しない。ライブ中に酔っぱらいのお客からビールの一気飲みを勧められたら演奏中であろうがなんだろうが一気飲みしなければならない。
でもこれをやらないと中国のお客さんは満足しない。

とにかく中国のお客さんはこっちの都合かまわずニコニコしながらステージにあがってくる。
ぶっちゃけた話、お客さんに『ワレ!!!状況わからんのかえ!!』と猛烈な怒りを感じる時があるがそこは我慢してどんな状況でもそれを逆にステージングの一つの演出として見せるくらいの気持ちが無いとやってられない。

とにかくどんなに状況が悪くともこっちは笑顔でお客様に答えないと中国のお客さんは満足しない。
何せ僕はこの国では外タレ歌手。習慣に合わす事から始めないと今後何も出来ないのである。

生演奏以外に持ち込みのカラオケCDを流してコンサートをやる事も多かった。
こんな時はCDが音飛びするくらいはことはザラ。
ドン臭いPAさんは曲中に CDを間違えて止めてしまう事もある。
そんな時もお客さんは『知ったこっちゃ無いわい』みたいな冷たい目でこちらをギロリと見てくる。
『ステージには僕一人。中国語もまだカタコトのワシにどうフォローせ~ちゅうねん!!』と何度も追い詰められた状況になった事があった。

カラオケ無視して必死で歌った事もあった。
幸いそんな状況の中何とか頑張るとお客さんは盛り上がってくれる。
何としてでもステージとしてやりきらないとお客さんは中国のお客さんは満足しない。
もし答えなかった場合は『なんや。やっぱり日本人はどうのこうの。。。』とかヒソヒソ言われてしまう。
悪く行った時もうまく行った時もは日本人の代表みたいな批評が飛んでくる・・・。
責任重大である。(皆さん御存じだと思うが一応言っておくと、中国では日中の歴史の問題や様々な理由でまだまだ日本人は誤解されている部分が多く、基本的に日本人の事を好きじゃ無い中国人は多い)

きれいごとでも何でも無く出来る限り中国の私生活やステージで僕が顔を出す時は少しでも誤解された日本人のイメージを良くしていきたいといつも思っている。
(どんな日本人でも中国に深く入り込めば入り込む程この気持ちは強くなるはずである)

だから今はどんな嫌な事でもできるだけお客が求めているものは何でもやりこなす事を心掛けた。
何度も言うががこれは媚びているのでは無い。
まずは合わす事から始めないと何も始まらないからである。

『わしゃ外国人じゃ~!!お前らの習慣に合わせられるかぇ!!』

と怒りを感じる時は多いが逆の立場で考えみると彼等も同じように日本がどんな習慣なのか知らないし彼等もそんなこた~知ったこっちゃない思っているハズである。
僕は今外国人として中国で歌っているのである。郷は郷に~ってヤツである。

毎日毎日何とか壁を乗り越えて行くがとにかく日本のライブでは想像を絶する考えれないトラブルが次々と起こる。一瞬一瞬気が抜けない。
慣れない部分は疲れるがこの緊張感がたまらなく心地よく感じる時もあった。(ワシはMではおまへんで。。)
アクシデントを乗り越えて大きい拍手が来た時の満足感は何物にも例えがたい感動を味わう事ができる。
体力は限界。精神的な限界。ストレスの限界。言葉の限界。強烈なスケジュール。

喜びと怒りの連続の中、2ケ月間クタクタになりながら何とかこのツアーをこなす事ができた。
幸いどこの会場もライブは満員で大歓声。
以前の中国での活動の経験なども活かされ今回のコンサートツアーは無事一回もブッ倒れる事なく大成功に終わった。
数えるとこの短い間に100回近くのライブをこなしていた。
このシンセンのライブ活動は今後絶対忘れる事ない経験になる事は間違い無い。

その二ケ月間の間、色んな所から色んな話が舞い込んで来た。
予定されたシンセンでのライブスケジュールはすべて終えた時Hさんは例のごとく僕の部屋にやってきて最後にこんな話をしてきた。

Hさん  『いや~お疲れさん!シンセンも悪くなかったろ?』

伊丹谷 『ははは はぁ。。。』

Hさん 『そうだよ。じゃ、次の話なんだけどね。。。。』

伊丹谷 『あ、あ、あん!!!?、、、もう終わりでしょう?僕、香港に行ってビザ更新して北京に帰ります。』

Hさん 『いやいや何を言ってるんだ。心して聞いてくれ。今きみにこんなデカイ話が君に来てるんだよ~』

伊丹谷 『あっあん。。。?なんでっか?』

Hさん 『いや実はね。。。』

幸いまたひょんなところから今後のステップとなる経験と関係をつくり出す事ができた。
しかし果たしてどうなる事やら。。。

さあここは中国。まだまだ何が起こるかわからない。。。

2002/10/25

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